SNUG Journal

「SNUG Journal」は毎週金曜日に発行! 対話のプログラム設計や教育、ファシリテーションを行う 「対話の場づくり屋 SNUG」の活動レポートや代表の考えなどを発信します。

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 対話のプログラム設計や教育、ファシリテーションを行う 「話し合いの場づくり屋 SNUG」の活動レポートや代表の考えなどを発信します。

【開催レポート】SNUGオリジナル企画「SNUG DAY vol.4 嘘くささ」

はじめに

 こんにちは。対話の場づくり屋 SNUG代表の長谷川友子です。このレポートではSNUGのオリジナル企画「SNUG DAY vol.4 嘘くささ」の様子をお届けします。

 

「SNUG DAY」とは?

 SNUG DAYとは2025年4月より行なっている対話の場づくり屋 SNUGのオリジナル企画です。

 SNUG DAYを実施する前は、SNUGはクライアントワークが中心でした。自らの発表とチャレンジの場として始まったこの企画も第4弾。今のところ、4月、7月、8月、10月と不定期ながら独自のペースで開催しています。

 SNUG DAYの目的は二つ。長谷川友子やSNUGの現在地をみなさんにお届けすること、参加者とともに各回のテーマを踏まえて「対話について対話する」こと。

 そう、SNUG DAYはいわばランウェイなのです!

 

「SNUG DAY vol.4 嘘くささ」の背景や文脈

 今回のテーマも、前回のSNUG DAYから引き継いでいます。前回は、「対話と日常」というテーマでSNUG DAYを実施しました。

unitsnug.hatenablog.com

 前回の長谷川友子の講演はタイトルは「対話と日常:『嘘くささ』と『高貴な理念』のはざま」というタイトルで実施しました。

 「対話と日常」という言葉からミニマムなことを想起する方もいるかもしれませんが、私が「対話と日常」を信じるために出かけた民主主義へのジャーニーをもと実施した講演。

 その上での参加者対話では「嘘くささ」という言葉をもっと深掘りしたいという声がありました。そこで、対話に関する数々の言説で溢れる今、対話の中の「嘘くささ」を真正面から見つめるためにこのテーマに。

 

「SNUG DAY vol.4 嘘くささ」レポート

 今回は少人数での実施となり、じっくりゆっくりと時間が流れたように見えました。

日時:2025年10月18日(土)14:00~16:30
開催方法:オンライン(zoom)
対象:当企画に関心のある方
参加者数:3人

 SNUG DAYはいつもどおり、概要説明と運営、参加者交えてのチェックインからスタート。皆さんのお声を聞いたあとは、第2回目から継続して実施しているこのコーナー!

 

SNUGニュースコーナー byもも

 この時間は、SNUGメンバーが気になるトピックをお届けするコーナーです。今回もメンバーのももさんが発表を行いました。

 今回のトピックはこちら!

 SNUGに入った約一年前は、とりあえず外に出て、経験から学ぼうと精力的にいろいろな場所へ足を運んでいたももさん。しかし今は「一人で学びたい」と思う時期だそう。

 そんな中、「差別はたいてい悪意のない人がする*1」という本を読んだことがももさんの今に影響を与えているのだそうです。

 この読書体験と対話の場づくりには通ずるところがあったということで、この本をとっかかりに今回のSNUGニュースコーナーがスタート。

 

 ももさんはこの本を読み、これまでの生活やSNUGでの活動を通して考えていたこと、なんとなく思ってたことが言語化され、感動の読書体験となりました。

 特に、権力の差についての解像度上がったそうです。

 「マジョリティ(より権力を持っている人たち)から権力が少ない人が見えなくなっていく」ということが強く印象に残ったと語ります。

 権力が少ない人たちは、声を出しにくい、出せない、もはや参加することを諦めているケースがあると学んだももさん。

 例として、ルールを決める場などからマイノリティが排除されている場合と、その場にマイノリティがいても、自分がマイノリティであることを隠している場合があるということを挙げました。

 そんな中、ももさんは自身のある体験を思い出したそうです。

 ある集まりで、年上の男性が自分がモテないというジョークを言った場面だそうです。その発言に対して、その場にいたみんなも笑っていたこと。自分はそんなに面白くなかった、でも面白くなくても笑わなくちゃいけない雰囲気を感じて、自分も笑ったこと。…もしかしてこれって私も見えない一部になっていたのかも、と。

 ちょっと立場的に上の人がジョークを言ったとき、友達が笑っているときに、自分も笑わなくちゃと思うことがあると思い出したと言います。

 その「笑わなくちゃ」はなんだろう?と考えたときに、対話の場の中にも「全員が笑顔でいることが成功である」という規範があるということに気づいたことを発表。

 ももさんは対話の場で「いないことにされている人」はいないか?ということを考えました。

 

 具体的にどうやって対話の場に落とし込んでいくかということはこれからともに考えていきたいという呼びかけでこのコーナーは終わりました。

 

 この発表のあとは参加者同士での対話の時間を過ごしました。特に、簡単に語られる「モテ」についてや、恋バナや恋愛社会の隅々に行き渡ることについてもざわざわと対話をしました。

 対話のあとは、長谷川友子の講演です。

 

※講演をお届けする前に:レポート執筆にあたって

 このSNUG DAYは実施レポートですから、SNUG DAYの際に発表したことを踏まえて書くべきかと思います。ただ、SNUG DAYを終えてからアップデートされた考えもありました。どう記載するか迷いましたが、現在の私の視点でお届けすることとします。

 

長谷川友子講演「対話の中の嘘くささ」

 SNUGは「公正な対話の場づくり」にこだわって活動してきました。

 社会的公正をめざす取り組みのためには、不公平な制度的構造や政策、慣行を変え、支配的イデオロギーを批判的に問い直すことが必要だと言われています*2

 対話はあらゆる協働の根底にあるから、対話も社会的公正をめざす取り組みの大きな側面と言えます。

 

 本題の前に、SNUGが考える対話と嘘くささの定義を確認しましょう。

 SNUGは、対話の定義をこれまで広く「話し、それが聞かれること/聞き、そして話すこと」のように広く捉えてきました。

 しかし現在、私長谷川友子は対話を以下のように定義します。

対話とは、ある一定の目的に向かって、意識的に集い、話し、聞く営みである。*3

 そして「嘘くささ」は、「嘘:真実ではないこと。またその言葉、正しくないこと」と「〜くさい(接尾語):〜のように感じられる」という二つを合わせて、ここでは以下のように定義します*4

嘘くささとは、真実ではないように感じられること。

 今回、SNUG DAYのテーマを「嘘くささ」としたのは、私が日々の対話について考える上で対話の中に嘘くささを感じることがあるからです。

 対話の中で、真実でないことも言ったり、言わされたりしているのではないか、そしてそういった仕組みがあるのではないかという課題感や違和感があります。

 この講演では、対話のつくり手の責務として、対話の中の嘘くささと、あるべき対話の姿を考えます*5

 嘘くささを考える上で、今回は「ガスライティング」という手法を取り上げ、身の回りにある支配(コントロール)や抑圧を考えました。

 ガスライティングという用語は「心理的な手法によって、相手に『私は正気なのか』と自分自身を疑わせるように仕向けること」と定義されており、パワーに差があれば、どんな関係性でも起こります*6

 例えば、自分の行動に対する責任を取らないこと、相手が言っていることがわけがわからないふりをすること、「感情的すぎる」「おおげさな」「ずうずうしい」などと言うこと、相手の情報源を疑ってみせること、事実を裏付ける証拠があっても「真実はこうだ」と言ったりすること、「こういう人たちは…」と一括りにすること、論点をすり替えるなどがガスライティングの具体例として挙げられます*7

 実際に、誰かの発言に対して「そんなのは考えすぎだよ」「ちょっと感情的だな」「まったく今の若者っていうのは…」「差別なんてしていない」「そんな酷いことするわけないでしょう」「じゃああなたは悪いことをしていないっていうのか」みたいな言葉、現実の対話の場でも聞きませんか。

 こうした言葉たちは一人ひとりの現実感を歪めるといいます。他者や自分自身に対する信頼を失うほか、被害者の自尊心が低下し、もちろんメンタルヘルスにも悪影響が出ます。

 ガスライティングは自分自身に対する信頼を失わせるものであり、相手から真実を奪うのです。*8

 

 視点を対話のフィールドに移します。今回のテーマは「対話の中の嘘くささ」でした。私の課題は「対話の中で、真実でないことも言ったり、言わされたりしているのではないか、そしてそういった仕組みがあるのではないか」ということでした。

 では実際の対話の場はどうでしょうか。あくまで私の視野ですが、現状「対話」と呼ばれているものは以下のようなケースが多いように感じています。

・アイデアをたくさん出してみよう!
・付箋に意見を書いてみよう!
・付箋に書いた意見を共有しよう!
・グループで意見をまとめよう!
・みんなに意見を共有しよう!

 これらは、楽しく自由な雰囲気で、笑顔に溢れていることが望ましいとされています。

 私はこれらの「対話」に嘘くささを感じます。いろいろな議題がありますが、今回は、付箋に意見などを書き、それらを並び替えたりグルーピングしたりする対話の手法に限って課題を提示します*9

 もちろん、付箋を使用した対話や対話型のワークは条件がそろえば有効であり、目的によっては効率的である可能性も大きいです。

 しかし、この対話のスタイルを相互理解や学びの場にも応用していることには違和感を覚えます。そもそもこれは対話なのでしょうか。

 また、権力勾配がある場で、付箋に本当のことを記載できるのか。それらを簡単に共有できるのか。何を持って共有できたと言えるのか。「似ていそうだ」という理由で安易にグルーピングするその「似ていそう」という暗黙の合意にこそ社会規範の再生となっていないか。

 さらに、付箋をまとめるときにはたらく権力を考慮できているか。

 

 他者の意見である付箋を流れるように動かすその動作にこそ、権力が宿っていないか。

 

 これらのある種固定化されたスタイルにとどまるのであれば、参加者は「対話とはこんなものか」と学ぶでしょう。

 

 私は、対話は真実を発見する場であるべきであると考えています。

 対話で真実の追求をするためにできる現実的な一歩として、私は対話の参加者自身に真実を言ってもらうことに依存せず、むしろ「真実でないことは言わなくてよい」という前提の対話の場づくりを挙げます。なぜなら、沈黙もまた真実であるからです。

 

 対話に真実を求めるのであれば、まずは対話のつくり手が、私たちの日常、社会にあふれている支配と抑圧の構造を学び、認識し、ガスライティングのように真実を奪う行為を認識する必要があります。対話の場と社会が地続きであることを認識しない限り、嘘くさく宙に浮いた対話となります。

 

 小さな社会の中で権力を持つ者であるファシリテーターや対話のつくり手がすべき学びは膨大です。人間関係のバウンダリーへの理解や、社会の中にある暴力、支配、抑圧への学びを深めるべきです。なぜなら、対話の場は小さな社会だから。

 対話で真実が発見できないのであれば、そうとうな人付き合い好き以外ははいずれ対話に見切りをつけるでしょう。対話をしても時間の無駄だから。対話が権力がある人だけが得をするものになれば、いずれマイノリティから反発が起きるでしょう。あんなのやっても疲れるだけだ、と。

 しかしそれは民主主義の危機となります。民主主義と対話は切っても切り離せないからです。

 

 対話に見切りをつけるのにはまだ早いと思います。「対話は重要だ」というナラティブはあっても、「対話の場づくりは専門的な技術である」という認識は、残念ながら、はたまた幸運なことに、まだまだ広まっていないからです。

 暴力が蔓延り、ポピュリズムが広がり、格差が増大してゆく激動の現在だからこそ、対話が嘘くさいままでは致命的です。だから対話を専門的なものとして捉え直し、対話という行為そのものの真実を取り戻す努力をすべきです。

 SNUGは対話の場づくり屋としての責務を追求し、提案をし、学び続け、担い手を育て続けようと考えています。

 

参加者同士の対話の時間

 講演の後は参加者とSNUGメンバーで感想共有の対話をしたあと、対話の中で感じる「嘘くささ」について対話しました。

 私は講演で対話についての嘘くささを題材にしましたが、参加者からは「対話する自分こそが嘘くさく感じる」「日々自分が嘘くさい存在に思える」という言葉がありました。しかしそれはガスライティングによって自尊心が失われているのかもということも話されていました。 

 今、何が起きているのだろう。どんな言葉をかけられてきたのだろう。そんな問いが私に残りました。

 この嘘くささというテーマはもっと深ぼる価値があると感じました。

 

次回のSNUG DAYのテーマは…「続・嘘くささ!」

 まだまだ深まる対話や社会の中の嘘くささと真実。次回のテーマも嘘くささとなりました。また違う角度から嘘くささとその向こうにある私たちが望むものを追求できる時間になればと考えています。

 

レポートの終わりに

 さて、今回のSNUG DAYのレポートはいかがでしたか。これを書きながらも、対話は奥深く、不思議で、SNUGも私もまだまだこれからだと思いました。

 SNUG DAYを開催するたびに、この場が私たちにとって重要な場になっていくのを感じます。今をお披露目すること。それを聞いてくれる人がいるということ。そして「対話について対話する」というこの時間を、これからも大事にしていきたいです。

 なお、講演内容について感想やフィードバック、誤りなどがございましたらいつでもコメントやSNUG宛に教えていただけたら嬉しいです。

 

 これで「SNUG DAY vol.4 嘘くささ」のレポートを終わります。

 

2025年11月3日月曜日
対話の場づくり屋 SNUG
代表 長谷川友子 

*1: キムジヘ 著,尹怡景訳,『差別はたいてい悪意のない人がする 見えない排除に気づくための10章』, 2021,大月書店

*2:ダイアン・J.グッドマン著,出口 真紀子監訳,田辺 希久子訳『真のダイバーシティをめざして―特権に無自覚なマジョリティのための社会的公正教育』,上智大学出版,2017

*3:この定義は、中谷彪著の『学ぶ権利と学習する権利』(晃洋書房,2023)に記載されている著者の教育の定義に大きく影響を受けています。

*4:どちらも広辞苑第七版から引用。

*5:「では一人ひとりが本当のことを言えるようになればいいじゃないか」という発想になる方もいらっしゃるかもしれません。しかし対話は関係性の中で行われる社会的で政治的な行為と捉えているので、個人的な資質やスキルに視点を絞ることは非現実的であると考えます。

*6:アメリア・ケリー著,野坂祐子訳,『ガスライティングという支配 関係性におけるトラウマとその回復』.日本評論社.2024.14,15ページ

*7:アメリア・ケリー著,野坂祐子訳,『ガスライティングという支配 関係性におけるトラウマとその回復』.日本評論社.2024

*8:アメリア・ケリー著,野坂祐子訳,『ガスライティングという支配 関係性におけるトラウマとその回復』.日本評論社.2024.14ページ

*9:こういうとKJ法批判と取られるかと思います。KJ法についての私のスタンスはまた今後問題提起したいです。実際にKJ法の本来のやり方に則っている対話の場がどれくらいあるのかも気になるところです。